グランリビオ高見七条 水辺の杜

東田第一高炉火入れ式/1901年(明治34年)「日本製鉄株式会社 九州製鉄所 所蔵」

1世紀を越えて愛されつづける、
高見の地。

1901年より、官営八幡製鐵所と共に、
歴史を刻んできた高見。
これまでもそうであったように、
この地から次代を見晴らしていきます。

100年の時をかけ、
情緒豊かな地へ。

1901年、北九州の八幡に、官営八幡製鐵所が創業。
それに伴い、枝光の高見山に高等官舎が建てられ、約100年前には現在の高見に移設。
同時に“高見”という優美な地名も継承され、現代に受け継がれています。
東田第一高炉にて/1900年(明治33年)
「日本製鉄株式会社 九州製鉄所 所蔵」
初代 高見官舎/1900年(明治33年)
「日本製鉄株式会社 九州製鉄所 所蔵」
官営八幡製鐵所修繕工場/1910年(明治43年)
「日本製鉄株式会社 九州製鉄所 所蔵」

京都をお手本に、
暮らしやすさもデザイン。

高見一条~七条という情緒あふれる地名は、官舎移設の折、京都にならった街づくりから誕生。
碁盤の目のような整然とした街並み、通りには桜並木が植えられ、美しくデザインされた環境が生まれました。
高見(現在地)の官舎群/1910年(明治43年)
「日本製鉄株式会社 九州製鉄所 所蔵」
高見(現在地)の官舎群/1910年(明治43年)
「日本製鉄株式会社 九州製鉄所 所蔵」
通称ロンドン長屋の冬景色/1963年(昭和38年)
「日本製鉄株式会社 九州製鉄所 所蔵」
高見神社 徒歩12分(約890m)

迎賓の高見倶楽部、
守りの高見神社を継ぐ由緒ある地。

緑に抱かれた高見倶楽部の美しい造形。

静謐なる森に佇む高見倶楽部。前身は、公餘(こうよ)倶楽部といい、迎賓や社交の場として豪邸を官営八幡製鐵所構内に移築されたのが始まり。公餘とは公務の余暇を表わしており、官営八幡製鐵所ならではの名称でした。現在の建物は3代目となり、奈良ホテルをモデルに建築され、名称も「高見倶楽部」へ。深紅の絨毯、繊細な意匠を施した窓など“歴史ある迎賓館”の風雅を漂わせています。時のVIPをもてなす街として、高見は常に迎賓の心と共に発展してきました。
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正統なる神社建築をカタチにした高見神社。

高見倶楽部と並び、歴史の面影を深く残すのが、桜の名所「高見神社」です。当神社も枝光の高見にあり、1934年、官営八幡製鐵所が民営化され日本製鐵となったのを機に、製鐵所の守護神と位置づけられ、高見に移築されました。その際、高見の人々の手により様々な木が植えられ、鎮守の杜へと育てられた歴史を有します。設計は、戦災により消失した明治神宮本殿を再建した技師が担当。日本の神社建築の正統派中の正統だと言われ、今も豊かな緑と静謐な空気を抱き堂々と佇んでいます。
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そして、1996年度から壮大な街づくりが始動。

時は巡り、北九州ルネッサンス構想の中で始まったのが「八幡高見地区住宅市街地総合整備事業」です。南斜面の住宅地として長く愛されてきたこの土地に、新しい街づくりが始まった瞬間です。
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  • 1高見倶楽部 徒歩5分(約370m)※一般には非公開となっています。
  • 2高見神社 徒歩12分(約890m)
  • 3掲載の航空写真は現地周辺を撮影(平成29年7月)したものをCG加工したものです。実際とは多少異なります。

詳しい資料をご希望のお客様へ

  • 本物件の魅力を紐解いたパンフレットをご送付いたします。
  • ぜひ、ご家族と一緒に御覧ください。

※掲載の環境施設写真は2017年4月・7月に撮影したものです。
※掲載の徒歩分数は、現地からの距離80mを1分として算出(端数は切り上げ)しております。

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